【所長の雑談】成績と実力が比例しない理由

 こどもたちが、「問題は解けているけれど、実は理解していない」ということがあります。
 テストの点数が良くても、理解の深さは人によって異なります。
 成績と実力が、必ずしも一致しないのはなぜなのでしょうか。

 例えば、算数の文章問題で、すらっと答えを書いて、答え合わせをして正解していても、その問題の本質を理解できていない、ということがあるのです。

 例としてあげると、「縦4cm、横6cmの長方形の面積は?」という問題の式と答えは「4×6=24cm^2」なのですが、「どうしてそうなるの?」と尋ねた時に、「そう習ったから」、「公式だから」としか言えないケースです。


「わかっている」とは、どういう状態なのか?

 算数の文章題を例にしてみましょう。

 問題に書かれた条件を読み取り、「数が何を意味し、どのような関係にあるのか」を考えることができて、はじめて「わかった」と言えるのだと思います。

 ところが実際には、「この問題はこの解き方」というように、パターンで解いて正解している子がいます。

 点数は取れているのですが、理解はしていない

 本当は、考えないと「わかっている、理解している」という状態にはなりません。
 だけど、考えなくても正解を出せれば、式の意味や、なぜその式になるかを「わかっていなくてもわかったことになる」のです。

 私が公文式の先生のアルバイトをしていた40年前の現場でも、同じような”理解していない正解”を目にすることはありました。
 しかし、現代はそれが極端に表れています。

 それは、時代の流れとともに重視されてきた「“正解を出すこと”が重視され、そこに至る過程よりも結果が評価される」ことが原因ではないかと考えています。

 この考え方で見ると、「結果が出ていれば、過程を見られることがない」のです。

 「結果が出ていれば、過程を見られることがない」
 だから、「理解させるよりも、すべての問題のパターンを覚えさせる」という、現代風の塾のスタイルになるのです。
 当然、すべてのパターンとなると数は膨大ですので「寝る間も惜しんで勉強するしかない」となるのです。

 ですが、それで本当に「わかった」と言えるのでしょうか?
 “正解した”ことと“理解している”ことは、似ているようで全く違います。

 それに、受験はパターンで攻略できても、大人になってから直面する問題は、パターン通りにはいきません
 職場でトラブルが起きても、答えのないことなんて当たり前のようにあります。
 家族が困っていたら、解き方を知らなくても、自分で考えてなんとかしないといけないのです。


本人も、周りの大人も「できた」と思ってしまう

 100点は目に見える成果です。

 保護者も、先生も、それを見て安心します。

 本人も「自分はできる」と思い、自信をつけます。

 もちろん、それは決して悪いことではありません。

 でも、「理解の深さ」は点数では測れないということを、知っておいてほしいのです。

 100点を取れていても、理解していないのなら、実力は100点ではないのです。


100点の向こうにある、本当の学びを

 もちろん、点数が悪くてもいいとは思っていません。

 でも、「100点=ゴール」だと思ってしまうと、その先にある学びの奥行きを見失ってしまいます。

 テストの点数は、受験には大切ですが、学問を学ぶ大学や実践が必要な社会人になると、そうではなくなります。

 点数以上に大切な「本質の理解」がなければ、ホンモノの中に入った時にメッキが剥がれてしまうのです。

 冒頭に挙げた例なら、「面積(cm²)」とは、1cm四方の正方形が、その図形の中にいくつ並べられるかを表す量です。

 この意味がわかっていれば、「縦4cm・横6cmの長方形は、1cm²の正方形が縦に4つ、横に6つ並ぶ。全部の数は掛け算をすればでてくる。4×6=24、全部で24個。だから面積は24cm²になる」と、自分の言葉で説明できるはずです。

 公式を使うことは悪いことではありません。むしろ、計算を速く正確にするためには必要です。
 でも、その意味を知らずに使うことは、「わかっていないのに正解している」状態をつくってしまいます。
 そしてそれが、周りの大人にも、本人にも、「理解できている」と誤解させてしまうのです。


おわりに

 進学することだけを考えるなら、受験で100点を取れば万歳です。
 しかし、残念ながら現在の企業では、「学校の名前だけで判断できない」という考え方が広がってきています。
 はっきり言うと「難関学校卒業者でも、社会で役に立たない人材はゴロゴロいる」と考える企業が増えているのです。

 受験のテクニックが進みすぎて、「理解の深さに見合わない点数も取れてしまうようになった」から、「いい大学に入れば大丈夫」という考え方は、平成の途中で終わっています。
 今は、点数がそのまま実力とは限らない時代なのです。

 こうした中で、もう一度考えなければならないのは、テストの点数だけでは測れない「本質の学び」ではないでしょうか。
 100点でも、考えていなければ、それは成長ではなく、ただの記憶です。
 70点でも自分の言葉で理由を語れるなら、それは確かな成長の過程です。

 覚えたことを吐き出すだけなら、人間はAIに勝てません。
 これからの時代、必要とされるのは「ゼロからなにかをつくることができるひと」です。

 こども技研は、子供たちの数年先ではなく、ずっと先の幸せを考えたいのです。