こども技研は、「自分で調べて、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動する」ことを、こどもたちの大切な指針にしています。
もう一つ大切にしていることは「勇気」と「思いやり」です。
だから私自身も、それをきちんと実践していかないといけません。
“これは変だぞ?”と思ったことには、自分の言葉で、きちんと向き合ってみたいのです。
今回の参議院選挙で、参政党のさや候補が、「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の一つだ」と述べました。
この言葉は、私には「科学・技術の面からも、経済の面からも、法律の面からも、まったくの見当違い」と、感じました。
今回の投稿では、「このことを検証すること、それらから考えられることをあげる」ことを、私のミッションとします。
核武装のコストと失うもの
核武装を「コスパ」という点で計ることそのものが、反吐が出そうな発想💢ですが、そこは大人として置いておきます。
少し考えるだけで、下表のようなことが想像できます。
資源を輸入に頼る日本は、他国と良好な関係を築くことが安全保障につながるはずですが、核武装するだけでそれらを失います。
国会議員が(執筆時点ではさや氏は当選しています)、この程度のことも想像できないはずがなく、なんらかの考えがあるのでしょう。
視点 | 内容 | 備考 |
---|---|---|
開発コスト | 数兆円レベル(施設・原材料・運搬含む) | 非保有国が新規開発する場合の推測です。 |
維持費 | 数千億円/年(安全管理・更新費) | 米や英の例。日本は未整備なのでもっと高い可能性があります。 |
国際的制裁 | 経済制裁・輸出入停止・外交孤立 | 核を保有した瞬間、日本は核拡散防止条約(NPT)違反国になります。現在の貿易構造では壊滅的打撃です。 |
信用喪失 | 核拡散防止条約違反で国際信用ゼロ | 核拡散防止条約(NPT)体制の崩壊リスクに加担することになります、 |
法的なこと
核武装するということは、相手を攻撃する可能性を持つことです。
ですが、現在の憲法は第9条で戦争の放棄をあげています。
大切なところだけ引用します。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
現在日本は、自衛隊を憲法の曖昧な解釈で保有していますが、核武装する場合は憲法についても改正がさけられません。
歴史を振り返ると、「日本は軍のシビリアンコントロールができない国」です。
法律や憲法を、一部の人が勝手な解釈をして戦争に突入していっているのが、歴史を学べばすぐにわかります。
人道的な見地から
日本では、「まさか自分が被害に遭うことはない」と考える正常性バイアスが、社会全体に強く働いているように感じます。
そうした心理の延長線上に、「核武装すれば、核で攻撃されない」という考えがあるのかもしれません。
しかし──
もし相手が「自国が玉砕しても構わない」と考えている国だったら?
そのとき、抑止力としての核が本当に機能するとは限りません。
さらに、初手で反撃すらできないような圧倒的攻撃力を持つ国が相手なら、たとえ核を持っていても、「持っていないのと同じ」状態になりかねません。
広島平和記念資料館を訪れた人の多くが、核兵器の非人道性に深い衝撃を受けると言われています。
わたしも訪れたことがありますが、涙が溢れて止まりませんでした。
怖いのか、悲しいのか、虚しいのか、理由はわかりませんでした。
核兵器の使用が生む結果は、人として超えてはいけないことのように感じました。
核兵器は使われてはなりません。
いやその前に、『戦争なんて不要』というのは、大切な人がいる人間なら誰もが思うことではないでしょうか。
非人道的な武器を、抑止力としての効果すら確実でないものを、保有する理由はないと考えます。
核は安くつくことの幻想
電力のためのエネルギーとして、「原発はコスパがいい」と言われますが、これは「後始末の費用を計算から外している」からです。
平和利用である、電力について考えてみます。
原発で発生した「高レベル放射性廃棄物」は、現在、青森県六ヶ所村にある「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」で一時的に貯蔵・管理されています。
この「高レベル放射性廃棄物」は一旦30〜50年ここで保管されますが、その後の予定は「地層処分する」ということ以外は、場所を含めて、具体的にはまだ何も決まっていません。もし、場所が決まっても、その後、数万年の間、安全に保管する必要があるのです。
言わば、「処理の方法が決まっていないのに、適当に流している水洗トイレ状態」で、「私たちは便利だから使うけど、流した後のう○こは未来の人がなんとかしてね」なのです。
安全に運用されたとしても、核にはこのようなコストがかかります。これが、コスパがいいと言えるのでしょうか?
核エネルギーは、現在の人間の技術では手に余るものです。
科学を真剣に志した人は気がついていると思いますが、人間の技術力は完璧なものではないのです。
そんなエネルギーを武器として使うことは間違っていると考えます。
最後に──本当は、すぐにわかること
ここまで、核武装について、法・歴史・人道・技術などの面からひとつひとつ見てきました。
「核武装が最も安上がりであり、最も安全を強化する策の一つだ」という言葉は、シンプルで感情に届く、強い言葉です。
だけど、そこにはまやかしがあることが、容易にわかりました。
でも、正直に言えば、ここでものすごく専門的な話をしたわけではありません。
わかりやすく事実を調べて、丁寧に考えてみれば、「核武装が安くて安全な策」なんて、まるで現実を見ていない幻想だと、すぐにわかる話だったはずです。
なのに、それでも一部の人にこうした意見が支持されたり、真顔で語られてしまうのです。
それはつまり、「当たり前のことを、当たり前にわかる力」が、社会に足りていないということです。
私たちに必要なのは、特別な知識ではありません。
事実を調べ、自分で考える力。そのことを当たり前にできるようになる教育です。
それと、少しばかりの科学的な知識と考え方です。
現代の情報過多の時代に、感情を煽る言葉に流されず、冷静に事実を知り、判断するために、教育こそが必要なのだと、改めて考えました。